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『ヨルダン・ぺトラ遺跡とサウジアラビアへの旅』
岩田 康人様(東京都)  
 

 春の連休に関西空港よりサウジアラビア航空日本就航チャーター直行便一番機に搭乗、360名満席、最新装備はともかく驚いたことに最後部にはイスラム教徒用のお祈りのスペースまで設けられていた。同日午後9時サウジアラビアの首都リアド着、日本との時差−6時間、空港から30分、砂漠の中にこつ然と高層ビルの灯が出現した。砂漠が約3分の1を占めるサウジアラビアでは、海水を淡水化するプラントに国費の5分の1を費やしていると聞き、改めて水の大切さを痛感した。

 イスラム教徒以外には極めて閉鎖的なイスラム国家サウジアラビアが外国人観光客の本格的な受け入れを始めた背景には、サウジ原油収入の頭打ちにより、石油産業に陰りが見られるため観光開国を模索した政策と言えよう。他国の慣習や法律を守ると評判な日本人をまず選んだと伝えられているが、観光ツアーは女性に全身を覆う「アバヤ」の着用を義務付けたり、写真撮影禁止区域などの制限も多い。


写真1 国立キング・ファハドサッカースタジアム(リアド)
 日の出から日没まで1日5回の礼拝が生活習慣のお国柄、礼拝の時刻を告げ るアザーン「呼びかけ」が巷に流れると全ての商店は一斉に閉店し、ご婦人方は買い物に四苦八苦。出発前に料理を心配したが、アラビア料理は新鮮な野菜と果物が豊富で、ヒヨコ豆とゴマのペーストにオリーブ油をたらしたホムスを薄いアラビアパンにつけて食べると抜群で、串刺しの焼肉ケバブの盛り合わせ、巨大皿にはライスの上に仔羊の丸焼きがのせられ豪快であった。残念ながら宗教上の理由から機内同様、アルコール飲料は一切なかった。

 リヤド市内観光では国立キング・ファハドサッカースタジアム(写真1)の特別見学を許可された。広いエクササイズルー

写真2 バラ色の神殿
「エル・カズネ」 (ペトラ)
ム、リハビリ室、手術室などの医療設備に目を見張りサウジのサッカーが強いのも当然だと思った。フィールド に出るとウェルカムの文字と我々の姿が大型ビジョンに映し出され、この歓迎の演出に歓声があがった 。その後ラクダ市も見学したが美形のものは朝のうちに売り切れ、1頭8万〜20万円位で取引きされ、売れ残りは食用にされるそうで、「ラクダも楽じゃない」と自称荒井ユーミンT・C(グローバル)の弁。

 翌朝リアドからヨルダン・アンマンへ空路2時間、アンマンから陸路約270kmのぺトラへ向かう。ぺトラとはアラビア語で「岩」という意味でヨルダン最高の遺跡がある。古代ナバティア人の北の都ぺトラでは、観光の出発点から馬に乗り、入り口まで辿り着いた。岩山の裂け目のような断崖にはさまれた天然の峡谷「シク」を進むと突如、視界がパッと開け巨大なバラ色の神殿「エル・カズネ=宝物殿」(写真2)が正面に出現、その見事な巨大建造物に感動した。ここは映画「インディ ー・ジョーンズ/最後の聖戦」のラストシーンで一躍有名になった場所である。さらに岩山をくり抜いて造った宮殿墳墓群や古代円形劇場を見学した。その帰路、陽光に照らされた岩肌が極彩色に輝き、実に美しく二年越しの念願が叶い、しばし至福の刻を過ごした。


写真3 岩砂漠ドライブ(ワディ・ラム)

 午後ぺトラから約90kmのワディ・ラム村へ向かう。この村は第一次大戦時、英国陸軍ロレンス大尉がベドウィンを率いてオスマン‐トルコ軍と戦った場所で、ここで映画「アラビアのロレンス」のロケが行われた。岩砂漠ドライブはニッサントラックの荷台のベンチシートに6人で乗り、砂塵舞う褐色の大地を駆け抜けた。(写真3)

 


写真4国立キング・ファハドサッカースタジアム(リアド)

写真5 岩盤に掘られた墳墓
 翌朝ヨルダンを離れサウジアラビアのタブークへ約300km、途中陸路国境を越える日本人グループは初めてとあって、司令官よりチョコレート(ハワイ製)のプレゼントがあり大歓迎を受けた。翌日タブークから約480kmの 隊商都市アル・ウラーへ。アル・ウラ−近郊にはサウジアラビア屈指のマダイン・サ−レ遺跡(写真4)がある。 ぺトラ遺跡に次ぐ古代ナバティア人の 南の都マダイン・サーレには砂漠地帯の巨大な岩盤に掘られたナバティア王国の墳墓群(写真5)が続き圧巻であった。念願の世界遺産に出会い、知られざる神秘の国サウジアラビアの貴重な体験を胸に無事帰国、9日間の感動の旅を終えた。

  考えると、サウジ政府は最大の観光資産と言えるイスラム教二大聖地メッカとメディナ聖域への外国人立ち入りには否定的で、観光振興への道程は前途多難であろう。